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-よみもの-

第12回「だれもが初体験の正月」

昭和20年代後期、こども時代を過ごした町は木造平屋と二階建てばかりで、鉄筋建物はなかった。
大晦日には、朝から町はしょうゆとみりんが主役の「おせち作り」の香りに包まれた。
当時の木造家屋は気密性からは遠く、隙間だらけと言えた。
大半の家には冷蔵庫もなかった。
そんな暮らしでも、一夜明ければ元日だ。
どこの家も朝から、おせち料理を作り始めた。
冷蔵庫はなくても真冬なら、ひと晩を越しても傷みはしない。
しかも濃い味付けだ。
八畳ひと間で、天井板も張られていない市営住宅の大晦日。
料理の熱源は炭火の七輪と練炭火鉢、焚き口ひとつのかまどだ。
それらを総動員し、母は次々と調理を進めた。
とはいえ鍋釜の数は限られている。
煮物から始めた献立が出来上がると深皿に移し、鍋を洗って次の料理に取りかかった。
上がり框に並べられたどんぶりや深皿には、新聞紙がかぶせられた。
日常の暮らしにはなかった美味しげな香りは、こどもを激しく刺激した。
我慢できず覆いを持ち上げたら。
「外で遊んできなさい」の声が飛んできた。
どの家の隙間からも漂い出ていた、大晦日のあかし。
こどもたちは鼻をひくつかせながら、寒空の下、原っぱで遊んでいた。
60年余りが過ぎた、今年の大晦日。
我が家は、おせち作りが朝から始まる。が、例年とは大きく様子が異なるだろう。
長男も次男も巣立った。高齢者の親父に感染させられぬと、元日も顔を出さぬという。
正月はカミさんとふたりで祝う段取りだ。
そんななかでも、大晦日の台所周りは、ホウロウのボウルで埋まるはずだ。
煮物、焼き物、和え物、酢の物、甘味物。
献立に応じて千切りにしたり、塩出しをしたり、角の面取りをしたりと、手前の支度が必要だ。
それらの食材がボウルの内で、出番に備えているのだ。
高知の大晦日、おせち作りにこどもの出番はなかった。
カミさんは巧みにこどもの手を借りてきた。
昆布やスルメを鋏で切るのも、出来上がりを重箱に形よく詰めるのも、こどもに委ねた。
わたしは遠い昔同様、邪魔せぬように原っぱならぬ、床屋に出かけてきた。
丑年を迎えるための、今年の大晦日。
故郷には帰らず、実家から離れて新年を迎える方も多々おられよう。
我が家とて同様だ。
同じ都内にいながらも、親とは別に暮らしている長男も次男も、次の元日には顔を出さぬと伝えてきた。
元日を共にできぬと、親父は落胆。
「来ないと決めた気持ちを察しなさいよ」
きつい一発を女房から食らい、老いては子に従えの箴言が、耳の内でぐわんと響いた。
おいしい記憶は時空など、やすやすと越えてしまう。
積み重ねてきた正月の記憶は、帰らぬと決めたあなたの脇で息づいている。

INFORMATION

キッコーマンが応援する、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト。
そのコンテストに寄せて、直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセーをお届けします。

第12回「だれもが初体験の正月」
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